kinakolayla’s diary

雑記。コンセプト決まらず。

想うことなし

庭で鈴虫が鳴いている。

 

闇のとばりが降りれば、よしあしこと

すべて、もの悲しく、あしもとに、うつろう

 

あしきことはなんぞかやと

よきことはなんぞかやと

 

ものの憂いを帯びてあるものに

さだめおけず

 

こころのとばりのうそを

たしかめながら

 

うつろうことばのまことをさがしては

くもながながれる

ああ、やっと巡り合えた

お金を引き寄せる法則。

 

ここに使うものには必ず同額が、どこからか帰ってくる。そこに使うぶんには、安心して、私はお金を使っている。先日も9万を自己投資したが、母からなぜか7万ほどもらってしまった。

 

どうやって帰ってくるか、が信じられず、あきらめてしまったひとも多いのだろう。

 

ちょっとずつ、つかみかけている私から話すと、必ず「自分が蒔いた道」から芽がでるように与えられる、ということ。それは、自分を好ましく思っているひとづてだったり、過去に自分が貯めておいたお金がどこからかでてきたり。だから、引き寄せの法則をするひとたちは、投資をしなさい、と言う。

 

宝くじやギャンブルは引き寄せによるものではない。

 

宝くじやギャンブルで引き寄せた場合、お金をとどまらせる心の理屈を自分がもっていないので、かならず、流れる。お金をとどまらせる心の理屈をもっているひとは、それを有意義に使う。つまり、消費ではなく投資に向かう。

 

残念ながら、私はお金をとどまらせる心の理屈を勉強中なので、そのあたりのことは話せない。だがしかし、お金持ちのひとは、たいてい、寄付、をする習慣をもっている。その寄付の先からまた、自分のなにかしらのお金のパイプを作り出している。大事なことは、

 

・お金を使うひとが喜びと愛に満ち溢れている
・お金を受け取ったひとも喜びと愛に満ち溢れている
・お金を使うひとが、お金を受け取ったひとの喜びを味わい、幸福感に満たされる

 

そして、そのエネルギーぶんだけ、帰ってくる。

 

心の妙なる理だと思う。これを会得しているのは、現実的な努力をしてすでにお金持ちになっているひとか、現実的な努力よりも心の妙なる理をつかっているひと。私は、お金よりも大事なことがあったので(家族のこと)、このあたり研究していない。

 

が!!

 

 

潜在意識を霊能者的に研究している最中、おかしなことが続出した。

 

・冷蔵庫が欲しいと思っていたときに、友人が冷蔵庫を購入した。友人が冷蔵庫を買い喜んでいると私までうれしくなった。しばらくして、私は何も言っていないのに、家族が話をして、父が冷蔵庫をプレゼントしてきた。冷蔵庫をなぜ買うことになったのか、まるで分らないので、混乱した。

 

・冬だったので、そろそろフリース素材の布団カバーが欲しいと思い、ショッピングをする楽しみができて幸福な夜を過ごした。翌日、4組のフリース素材の布団カバーを母が持ってきた。柄にこだわりたかったのに、私は悲しくなった。

 

・ナッツを美容のために食べたいと思ったら、その日のうちに、何も知らないであろうT君がラインで、ピーナッツ欲しいかと聞いてきた。私は驚き、なぜ、そんな話をするのかと聞いた。職場でピーナッツをくれるひとがいたらしい。私は欲しいとも要らないとも返答ができずに驚愕していたが、挙句の果てには、夫が仕事先からピーナッツをもらって帰宅した。

 

・美容のためにフルーツが食べたいと思っていたのと、子供たちがよく食べるので米が欲しいと思ったら、夫が仕事先から米とフルーツを、とにかくよくいただく強化週間が訪れた。我が家は、りんごとはっさくとみかんの攻撃をくらった。(米は足りなかったが)母が行った法事先で、なぜか私にあげてくれと、何軒家ぶんのフルーツセットをもらった。くれたのは親戚筋。

 

・友人に、ある写真を見せたくてネットで探していた。その写真は撮影不可の場所であり、ネットには転がっていないわなとあきらめていた。6時間後、私がその写真を探しているだろうとは知らない友人が、その場所に偶然旅行で行っていて、私のラインに写真を連投した。

 

これは、ある条件下のもとに私の心が在った一定の期間のことである。やっぱり、お金や物よりも大事なことがあったので、2週間ほどでフィードバックをやめてしまったのだ。そう、これは2週間以内にすべて起こった。ほかにもあったかもしれないが、記録をとること自体も、私自身の心の機微を刺激し、引き寄せエネルギーが消滅してしまうかと思われて、はばかられた。何よりも、当時の私はそれどころじゃなかったし、ほかの分野の研究と知らねばならないことで手一杯だった。

 

 

偶然はあるだろうさ、と思ってた。冷蔵庫すらも、だ。何かの拍子に、私が冷蔵庫を欲しがっていることが父に伝わったのだろうとも思っていた。だがしかし、撮影禁止の写真を、ルール違反で撮影したものを友人が連投してきたときは、私はしばらく、レスができずに、かたまったまま、その数枚の写真を見つめていた。

 

Mよ、なぜ、それをくれたのか?

「昨日から〇〇に泊まってるんですよー」

いや、私はそんなことを聞いてるんじゃなくて、なぜ、それを私に送ろうと思ったの?

「要らなかった?」

 

ほしかったのをなぜ、知ってるのか!!

お前が霊能者だからか!!

(違)

 

 

お金を引き寄せるためには、まず、自分の心から貧乏神たるものを追い出さなくてはならない。まず、貧乏神が何で、福の神が何で、というところから話さなくてはならない。そのあたりは、また、どこかで話すとして…。福の神が何かとか、貧乏神が何かとかが嫌いだというひともいるだろう。安心したまえ、あれはエネルギーのことだ。

 

とりあえず、私は自分の引き寄せ力を信じてみることにしている。だから、私の心が喜び、そしてときめくほうを選びたくて、今、まだ主婦をしている。もちろん、喜べないときもある。そこに心のトラウマがあるのかを点検もしている。ただ、周囲の状況でひとりでもそれにNoというひとがあれば、そこにも点検を入れる。私の潜在意識の一部がそれをNoと言っている可能性があるからだ。

 

そんな変態な私がどうしてもお金を引き寄せるために欲しかったのが

 

うすっぺらい財布

 

札入れとコインケースを別にしてあり、領収書も別に保管するようにしたかった。私のゾーンでお金の流れの道を明確にしたかった。支払うことに喜びを感じたかった。私の心の機微を、いいお金の流れ方にする習慣づけをするために必要だなと思っていた。

 

お金の流れ方をすこし理解して、自分の心のトレーニングのために欲しいと思ってから3か月くらいかかっていると思う。以前とは格段のタイムラグが発生しているのは、私が物を欲しいと思うことをやめたからだ。あればいいくらい。お金がないから使わないでおこう、とする、私の貧乏ったらしい性質があらわになっている。わたしのそれどころじゃない状態(家族)が完全に緩和されたのを1か月ほど、何もせずに観察して結論づけたので、そろそろ、お金のほうに目を向けることにしたときに、気づいた。

 

だししぶってんじゃねぇよ、わたしww

 

昨日もお出かけしたが見つからなかった。かわりに鞄を買うた。あきらめきれなくて、母とデートしたらば、理想どおりの財布がコインケースのセット売りで、しかも半額で売っていた。だけど、デザインで迷って一時間くらいうろうろしていたが、私が潜在意識にオーダーしたほうを購入した。宇宙は、私が安売り特価に弱いことまでオミトオシだぜww

 

いいか?オーダーは手に入れていないにもかかわらず、手に入りました、ありがとうございました、っていうんだぜ?

 

腹のとこにある魂の奥の潜在意識がつながっている大宇宙に向けて、だ。

 

おもしろいから習慣にしてみたまえ。実現しない場合は、必ず理由がある。実現しないのは、オーダーするパイプがつまってるからだ。その「つまり」を「蓋」って、私は呼んでいる。そして、お釈迦様はそれを執着と命名した。だから、煩悩のことは五蓋とも呼んでいる。

 

とりあえず、私が欲しかったものは、自分の望んだ形ではない方向から実現はしている。現実でひろがってみると、こんなはずじゃなかったというものもたくさんある。アトリエが欲しかったのだが、妹が引っ越ししたのでロフトをアトリエとして使ってもいいと言われたのが半年後。だが、なぜか使っていない…。そんなものだ…。

 

私が薄っぺらい財布を探して、とても奮闘したので、自分の今後のためにも、薄っぺらい財布が欲しいひとのためにも、候補財布を記録してみようっと。

 

自分のお金の流れを変えたいなと思っているか、どうかにかかわらず、おしゃれなうすっぺらい財布が欲しいひとがいたら、参考にしてくれたら、私は役に立ったと心から喜びます。(私の好みで偏っていますが…)

 

 

*補足*

私が購入した財布は、オリジナルの一点モノかもしれない。

それの捜索に時間がかかっているせいで、なぜか、候補にあがっていたいいなと思った財布をたくさん見つけることができたので、明日のブログには財布特集をやろうと思う。 

 

ちなみに、私は、無名のデザイナーさんの作品も販売しているショップで購入した。

ピンクに、シルバーの筆で描いたような〇印がのっていて、札とカードしかはいらない、ボタンでとめる財布である。コインパースにはカード収納がついている。長財布とコインパースである。(ばら売りはしていた)

 

一点もの、とか嬉しすぎる。

 

とりあえず、リンクなどを張り付ける練習も兼ねて。。。

 

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感想(16件)

櫻子さんの足下には死体が埋まっている

ドラマの脚本構成というものに興味があって調査していた。

 

母が録画していたドラマの各一話ずつ見て、どれもイマイチ。

 

構成を勉強しているので、もちろんシーンの埋め込み方など、素晴らしいと感じる。何気なく流して見ているところで、興味深い効果が仕組まれていることに改めて気づくとおもしろいなとは思う。ドラマの脚本家は、視聴者に話の流れがわかりやすいように、ゼロからシーンを構成していく。その技術は素晴らしい。

 

だが、しかし、だ。

 

どうしてもドラマティカル コンテキストと呼ばれる部分で、頭をかしげたくなってしまうのである。とにかく、中身が薄っぺらい。薄っぺらすぎて、時間が無駄になってしまったようにすら感じる。

 

そんな中で、これは見てみようと第二話に続き、第三話に続いたのち、1クールすべてを見て、感嘆し、もう一度見ようとすら思ったのがコレ。

www.fujitv.co.jp

エブリスタで小説ができ、アニメができ、ドラマ化と至ったのだが、調べてみると原作と内容がほとんど変わってしまっているそうだ。高校生だった正太郎は、博物館職員になっているし、櫻子さんの年齢まで変更されているようだ。

(それにしても観月ありさの顔が変わりすぎてやしないか?)

 

それに対して反発している原作ファンも多いようである。

 

しかし、だ。ドラマは美しかった。メタファーも、伏線の置き方も、敵キャラ設定の置き方も。冒頭で与えられた葛藤に対して、結論がラストにでるのだが、

 

あれは釈迦の説法

 

確信にいたったのが、まさに最終回。あのラストシーンは釈迦が入滅時に、阿羅漢に対して霊能力で説法された内容と同じである。敵キャラである青葉は、まさに仏教でいうところの「マーラ」の訴えそのものである。

 

つまり、「桜子さんの足下には死体が埋まっている」という作品はエクソシスト作品である。エクソシスト作品は、ディズニーシリーズも完璧にそうだと言える。「桜子さんの足下には死体が埋まっている」は、ディズニーよりも、各話ごとの説法内容がコンパクトすぎて感情移入しづらい。

 

ディズニー作品は主人公の人物像や感情をシーンで丁寧に描いている。櫻子さんは各話を通して、主要キャラクターの人物像や葛藤を丁寧にあぶりだしている。

 

それは、映画とドラマという表現手法による作品の性質でもある。櫻子さん、は、

 

連続ドラマ、だというだけあって、サイドストーリーともに、釈迦の説法が散弾銃のように巻き散らかされている。

 

なぜ、その人物がそのような行動をおこしてしまったかという抒情部分がまるでなく、その人物の生い立ちや状況がたんたんと語られる。女子高生と風俗店店員の交際も、書きようによっちゃあ、グロエロと表現できると思うが、すべてカットしてある。どうして、そんな人間と交際したんだ、といった糾弾するようなシーンはほぼない。

 

私自身の青臭い過去もそうだが、女性というものは、男の甘い囁きに失敗していることがあると思う。認めてもらえなかった悔しさ、愛してもらえなかった悲しみ、大事にされていないさみしさを男性の目的に利用された女性は少なくないはずだ。

 

それに気づかないで、それをなんとも思わないのが大人の女性だという幻想を追いかけて、どんどん無意識に、自分を傷つけていく。そして、自分の心を失っていく。他人にそんなことを求めても、なにかしてくれるわけじゃないでしょ?とばかりに。

 

それについてはほとんど描かれず、たんたんと希望が描かれる。希望をつかみきれない女子高生には、元教師が一喝。

 

「男はお前を利用したんだ」

物事の本質をえぐるってとっても大事だと思う。説教臭い番組だというひともネットで見かけたけれど、別に説教してるわけじゃないだろう。本当のこと、じゃないか。

 

本当のことを言うと怒るひとは、私の周りにもたくさんいる。なぜ、怒るのか分からなかったけれど、最近はよくわかる。

 

怒るひとは、自分の心が傷ついているっていうことを認めたくない人か、自分の心が傷ついていることを把握し近寄ってくるなと警告をしている人。

 

だいたい、その傷つきは、原体験が幼少期にあって、本人も探せないところにあるから、自分なりの価値観として他者と衝突するようにできている。そして、それが人間。

 

傷つきの原因を知り、ただしい善悪の判断の目をもち、自分を理解し、適切な改善する道筋を発見し、ゆるすこと

 

善悪の判断は、お釈迦様が説いた八正道であるし、ゆるしはキリストだったり。この生きることのなかに智慧を磨く勇気と不動心を訴えたのはイスラム教。宗教は、本当は心の指針みたいなもので、現在にあてはまるものに関しては普遍的な教えだと思う。けど、当時の人間にわかりやすく話された比喩をそのまま現代が受け取ったら、そらー、おかしなことになるわなっていう解釈は私は持っている。

 

それらがわかってて、考えているひともたくさんいる。そういうひとには桜子さんのお話はきっと感嘆だと思う。なぜなら、説教臭いからだ。

 

 

 

4.ドラマ【関東地区】

番組名 放送局 放送日 放送開始-分数 番組平均
世帯視聴率(%)
連続テレビ小説ひよっこ NHK総合 '17/06/07(水) 8:00 - 15 20.0
木曜ドラマ・緊急取調室 テレビ朝日 '17/06/08(木) 21:00 - 54 13.8
日曜劇場・小さな巨人 TBS '17/06/11(日) 21:00 - 54 13.7
火曜ドラマ・あなたのことはそれほど TBS '17/06/06(火) 22:00 - 54 13.5
木曜ミステリー・警視庁・捜査一課長 テレビ朝日 '17/06/08(木) 20:00 - 54 13.2
おんな城主直虎 NHK総合 '17/06/11(日) 20:00 - 45 12.3
警視庁捜査一課9係・最終回 テレビ朝日 '17/06/07(水) 21:00 - 54 10.4
金曜ドラマ・リバース TBS '17/06/09(金) 22:00 - 54 10.4
CRISIS公安機動捜査隊特捜班 フジテレビ '17/06/06(火) 21:00 - 54 10.3
月曜名作劇場・警視庁機動捜査隊216・7悪意の果て TBS '17/06/05(月) 20:00 - 110 9.7
ところで、その桜子さんの視聴率は、というとランキングに入っていない。これはどういうことかと考える前に、ドラマティカルコンテキストで私がアウトをだした作品がこの中にある。キャストがもったいないとさえ思っていた。
そこでわたし調べで周囲に聞いてみた。何がおもしろかったのか。
「いのっちがよかったわぁ」
確かに、俳優の演技が最高だと思う。だが、しかし、こんな安易な殺人をひとは犯すものか?そして、その殺人事件にまつわった心の葛藤はそんな程度の着地点でいいのか?甚だ疑問である。
ドラマとは、キャストの演技を見るもの、程度になっているのか?
私の父も帰宅するとテレビをつける。テレビの内容を見ていると、なぜそれがおもしろいのか、私にはまるで分らない。観察していると、テレビの内容を見ているというよりは、そこにいる存在理由をふらっと置いているようにさえ、見える。なので、考えさせる何かよりも、CMのように流れていく内容のテレビ番組のほうが安全なのだ。考えることをやめ暇つぶししたいのに、向き合いたくないことを考えざるを得ないように刺激してくるものは、自らの敵である。
櫻子さんの事件のひとつ。介護に疲れただろう老婆の死亡理由が、自殺か事故死か。ネタバレになるが、夫を介護していた妻は、生きる覚悟をもち自らを鼓舞するために、夫との思い出の場所で朝日を見ていた、という箇所。介護問題が持ち上がる中で、きれいごととは言え、
ひとりではない、ささえてくれる人がいるから生きていける、勇気をもてる
お前はそれを、しっかりと受け継いでいるようだな
という幸福に過ごせるための指針のようなものが、セリフに入っている。自らの不満ややるせなさで疲れ切って、愚痴を言うことをストレス発散してどうにかやり過ごしている人間にとっては、そう思えないものをテレビでドンっと、幸福であるための結論を突き付けられてみたら、無言で見るしかないだろう。
最近では、ネット情報を発信しているテレビ番組もあるそうだ。情報メディアは、テレビからインターネットへと移行している。インターネットを使わない年齢層が消滅すれば、テレビの社会的役割は失われるだろう。ラジオでさえ、インターネットラジオがある。地方局は、ローカルネタの発信基地として、おそらくは有益な機能を果たすので残るだろう。
千葉真一の息子がアメリカではなくて日本に活動の主体を置いた理由の一つに、興味深いものがあった。アメリカでは年輩俳優のにじみでるオーラが評価されるが、日本では10代20代の若手俳優がメジャーシーンを占めているので、自分はそこで修行をしようと思ったというのだ。
日本のエンターテイメントが、若者を起用した内容物に傾倒しているのは確かだろう。ジャニーズやAKBといったアイドルが、テレビ界を占めている。(海外のテレビ事情は知らないが)
それを垂れ流しているテレビではあるが、それ自体に日本人が飽きたらそれまでである。日本のエンターテイメント界がどういう方向性に向かっていくのか、まるでわからないが。物語、に関しては、私のなかで法則がある。

メジャーになると王道ストーリーになる

東京グールだってそうだ。東京グールの前身になっているだろうpenismanは、東京グールの作者がweb漫画でまだ公開しているので検索したら見つかるはず。発想はそこから来ていて、東京グールで解決できなかったテーマを、東京グールreで再考している。penismanはただのホラーギャグである。penismanがうまかったのは、そこに分かりやすいドラマがあることだ。
東京グールの構想システムは、海外ドラマのheroと同じところがある。親のまき散らした問題をどう子どもが解決していくか。そこに、人間と超人との調和を見事に表現していなかったら、私法則で言えば、東京グールは未だインディーズ作品ということになる。
pokemonの初期作品もそうだ。わりと無駄があって人間くさいいびつなセリフもあったのだが、最近では愛と平和と勇気、友情などを謳いきっている。初期映画を見て、なんだかなぁと思っていたが脚本家が変わったのかもしれないが、そうではないのだろうなとも思う。有名税みたいなものが発生するのか、発信者としての責任がでてくるのか。
私は後者だと思っている。
どんなアンダーグラウンド作品でも、読み手が増えるにしたがって、王道ストーリーになってくる様子は、私が観察するテーゼでもある。胎界王でさえ、そうだ。今どうなっているのか分からないが、グロい作品なのにもかかわらず、そこに葛藤があり、そしてカタルシスがある以上は、どうしても王道にならざるを得ないのである。
 その丁寧な葛藤とカタルシスの表現なく、ボンボンっと結論をだしてくるのが、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」だ。
みごとだねぇ。。。
 だがしかし、小説作品とは、主人公の人生を通して、何かを知らせるものだ。獣の奏者、エリンも、自らの人生を通して、多くを知らせる。その情報は多すぎる。どんな人生を歩み、どんな結論を出したかを、人生で表現するものが人間である。本来、物語とはそういうものだ。いや、ちがうのか。私にはわからない。そういうものしか読んだことがないのかもしれない。
わかるのは、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」は、何が善で、何が悪なのかをはっきり明示するものであり、私がこのブログで発信するものも、おそらくその類になるのだろうと思われる。
 

なに、このブログ機能、進化しすぎ

私、思ったままに、文字を書く作業が大好きなんだと、先ほどの記事を書きながら思いました。はじまりはどよんとした曇り空の文筆だったのに、どんどんハイテンションになりました。

 

あわや、小学生の擬音会話になりそうな勢いで。

 

友人Aからすると、私が素で話すと小学生男子低学年と変わらなくなるそうです。

 

夕方、友人Bにブログをはじめたことを話し、はじめてみたら、思ったよりも、幸せ気分とワクワク喜びに満ち溢れたことを話しました。特定されかけましたが総スルーで乗り切りました。

 

なにがそんなに楽しかったって?

 

ブログ機能ですよ!!

文字のフォント、埋め込み、かざり文字、何から何まで、昔は、大変だったのですよ!!

 

htmlですか?あれ?C言語ですか?

(たぶん違う

 

そんなわけのわからないものをいじっていたのですよ!!そりゃ、もう、めんどくさくって!!

 

こんなポチポチクリックで…

 

絵文字風の脚色を嫌う、高機能メンズバッグ派女子の私には、この進化したブログサービスは、新しい快適なオモチャを手に入れたようなものですよ!!

 

ストレスフリー!!

 

10年後にはまた仕様に大変化があるんでしょうね。すばらしきかな。

 

 

はてなブログさん、1000点です‼︎大満足です‼︎

 

 

どのブログサービスにしようか迷ったんですよね。たぶん、本当は、それほど変わらないとは思うんです。でも、比較して自分に合ったものをよく探すでしょ?

 

ほら、価格コムとか…(違う

 

なんで、はてなブログにしたか。

 

カッコイイ文章を書いているひとが多い。

論理的な文章を書いているひとが多い。

読みものとしておもしろいものを書いているひとが多い。

はてなブログのシンプルな仕様デザインが好き。

 

最大の決め手は、コレ。

 

広告バナーの削除の仕方を教えてくれたひとがはてなブロガーだったから‼︎

 

広告バナーの削除の仕方を検索してのぞいたのにもかかわらず。そのお方は、現実とスピリチュアルのあいさの葛藤をしたため、論理的な思考をなさる方であった。

 

視えてるのか…いや、これは違う、モヤモヤ、私パラノイアじゃないのか…

 

のなかに現実的な努力の仕方が記載されてたり。

 

もしかしたら、私、このひとを助けたいと思ったのかもしれないな。ダイレクトにネットサービスからコンタクトをとるだけの勇気もなくて。

 

だって、余計なお世話じゃん。

 

激辛香辛料を眼にすりこむような話しかできないし。だって、視えること、にファンタジーしか求めないひともたくさんいるもの。

 

助ける(思考の材料として)なら、ブログを書いて、主体的にそのひとが考えて判断すればいいものだと思うから、ブログにしたんだな、きっと。

 

 

なにより!!

私は文字が大好き!!

きなこ、ブログ再開。

ブログなどを再開してみる。

 

発信者を辞めて、どれくらいになるのか考えてみたけれども、少なくとも、もう4年にはなるだろうか。

 

SNSの繋がりも重たくなったり、発信するもの自体に、自分が懐疑的になり、方向性を失い、閉鎖の方向で、自然消滅化した。FB、mixi、yahoo。ツイッターも、「繋がり」自体を私がヘイトしたために、アカウントだけはおこしてあるけど、やっぱり発信する気になれない。

 

読者さんのなかには、たまに読むので残しておいてほしいと言ってくださる方もいまして、公開をしたままにしているものもある。エブリスタ。

 

それで、たまに、見る。申し訳ないという想いと、削除したくなる想いとの闘いのうえ、見なかったかのように窓を閉じておく。

 

 

私のスペックの最大特徴は、たぶん、巷で言われるスピリチュアルだとか霊能者さんだとかの類。たぶん、自分で言うのもなんだが、秀でているんじゃないかな。心と世界の窓閉鎖中も、体質だもの、障がい者のように、わたくしはですね、戦わねばならなかったもので、無駄に知識と経験が増えました。戦うっていっても、漫画のようなものではありません。幽霊と戦ったりするのは、本当に稀です。

 

(こんな智慧、生きていくのに必要だろうか、いや、邪魔なものだろう…たいてい開花した友人はこんなもの要らないって言う)

 

視えるんです。というタイトルでエブリスタさんの前身となるモバゲでエッセイを書き始めたのは、次男が3歳になる年だった。彼は今、11歳になろうとしているので、2009年ごろだろうか。

 

視えるんです。というタイトルで漫画があるのを、最近見かけた。霊能者である漫画家さんの作品。わたくしは、それを知っていたわけではないので、パクったわけではないのだが、これを見かけると、たまに、やっぱり申し訳なくなってずーんとなる。(いや、世の中、かぶっちゃうこともあるし、相手には何ら影響もないはず)

 

闘いの最中、情報の糸と糸をつなぐのに、グーグルさんはとても役に立ち、私もROM専として、自分の知りたいものを繋げてくれた。とても感謝している。特に、海外wikiはどれだけ信頼性があるのか分からないが、これもまた、情報の妥当性を鑑みるのに役に立った。

 

そう、私は役に立ちたい。

 

けどなぁ、何に役に立てばいいんだろ。うーーん。うーーん。うううううn。

 

と考えて、あるわたくしが尊敬しているひとがポンっと言い放ったのがブログ。

 

 

えええええええええええええええ

 

…一か月経った。とにかく時間だけが過ぎるのに対し、知識と情報だけは理論だてられていく。もう要らないと思っているものがどんどん蓄積し、欲しいのに手だてがわからないやと思っているものは煩雑に宙を舞ったままだ。

 

しょうがないので、コンセプトは決めずに、なんかやることにした。そんなものが許されるのは、そうブログくらいだろう。

 

そんなこんなではじめてみる。

 

誰かの情報記事が私の危機(思考材料)を救ってきたのは間違いないし、私もそれくらいのことはできる。私を救ってきたのは、自分や友人(ともに霊能者)の体験がなんなのかという判断ができるだけの妥当性のある情報だ。その情報を取得したのは、知恵ぶくろからでもあったし、個人のブログの一部だったり、お寺の情報でもあったし、海外の引き寄せサイトでもあった。

 

エメラルドタブレットの原文、ニュートンの訳文が見れたし。「ワイルドワイドうぇぶ」というしろものを作ったあのひとは偉大だと思う。あのひとのおかげで、私は情報に困ることはない。私のもっている情報が誰かの思考の素材になったり、判断材料になることができたら、そんなうれしいことはない。

 

やった!!ブログらしいブログ!!

 

感情的なメンタリティを刺激する発信をするつもりはない。もともと、あんまりそういうタチではない。論理的ネガティヴだし。アラフォーですし。たんたんと私が考えに考えて出してきた結論を発信するので、目を背けたいひとは、きっと香辛料を食べちゃうかも。

 

でも、

 

アラフォーの主婦が何を発信できるかって?

 

 

・チャクラ思想、クンダリーニ

(チャクラボタンは、いろんな情報がつまってるんだぜ?)

 

・あげまんの理屈

(クンダリーニをアースできる子なんだよ、あげまんってのは)

 

引き寄せの法則にまつわる宗教論

(コレ、案外気づいているひともいる。西洋の神秘思想なんかもそう。ロンダバーンも調べたらしいけど、本当だった)

 

https://youtu.be/tl3DjHJ5gCs

 

・英語教材と英語教育について

(そちら方面のお仕事をしていた)

 

不登校児にまるわるもろもろの話題

(そちら方面のお仕事をしていた)

 

・心理学的なあれそれ

(そういう勉強とそちら方面のお仕事をしていた)

 

・家族問題の解決の仕方

毒親の制し方?実家が機能不全家族だったけれど、離別することなく改善した私のケースは需要があるに違いない。こんなことを公表していいのかわからないが、適応障害である私の甥っ子の変化は、私たち世帯と同居してからである。5年間アスペだと診断され続けた子が、目の前で改善していったのを仕事でみた。周囲も何が作用してそうなったのか、きっとわかっていない。私には理屈がある。)

 

あ、そうそう、賢者の石ってあるでしょ?

あれって、本当はね…

 

よく考えたら、私の知ろうとして知ろうとして、研究してきたものって、とっても誰かにとっては興味深いものかもしれない。。賢者の石だって、偶然にわかっちゃっただけだけど、研究に何年かはかかってる。あんなものあるわけないじゃんね?だから知ろうとして知ったわけじゃないのよ。そんなかんじで

 

ただ、ただ、ロマンがない。
 

それだけは断言できる。

断言しよう。

 

スピリチュアルにロマンなどない。

愛とは貴様が思っているような愛じゃないかもしれないだろ!!

 

 

っていうね。

(口が汚いのはテンションがあがってる証拠)

 

インディゴチルドレンとかって、クリスタルチルドレンとかって、って、スイーツ女子みたいに美しくお話できない。だって、そんなのゴロゴロしてるでしょ。特別でもなんでもないんだもん。未知なだけだし、曖昧な社会的認知しかないからでしょ。

 

私の目下の今年の課題は

 

・ブログをしたためる

・作品をつくる

・簿記3級に合格する

 

そんなカオスな雑記。きなこの雑記。

 

プライベートなおともだちにも隠れて書く。

(ヒントは残した)

開放的な空間、それは…ブログタイトル、なんにしようかな。

また、あとで考えよっと。